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関係者以外立ち入り禁止
​DC
務武×赤井 ジン×ライ
age restrictions PG-12

一般的な少年漫画レベルの暴力/流血/死に関わる表現があります。

2017年5月20日
フローティングハート

くしゅん、と小さなくしゃみが飛び出して、少年はぱちりと目を覚ました。
ぱちぱちと目を瞬かせれば、長い睫毛がふるふると揺れる。
髪と同じ色の、柔らかな黒。
それが隠す瞳の色は、鮮やかなグリーンだ。
小さな掌を拳の形に握って、少年は、その特徴的な目元を擦る。
あくびと同時に眦に浮いた涙でぼやけた視界に、降り注ぐ太陽がまぶしい。
さわさわと揺れる葉擦れが耳を優しく撫でていく。
「ん……、」
ころりと寝返りを打つと、彼の身体は、小さな窓辺の縁からどしんと落ちて、舞い上がった埃がきらきらと光った。
くしゅん、くしゅん。
今度は二回、連続でくしゃみが出る。
家族に聞かれていたら、すぐに寝室のベッドに連れていかれて、午後の残りは大人しく過ごさなければならなくなるだろう。
けれど、今は、そんな心配は無用だった。
ここは、庭の木の上に作られた、彼だけの小さな家だ。
去年の誕生日に父が彼の為に作ってくれて、それ以来、少年のお気に入りの遊び場になっている。
「どうだ、秀一。すごいだろう」
そう言って笑った父の顔は、一年経った今でも思い出せる。
学校で友人と喧嘩した時も、母と言い争いになった時も、この小さな巣箱は――と、母が冗談のように言った――揺りかごのように彼を包んだ。
もっと気分がいい時――難しいテストで満点を取って褒めて貰えた時や、ホッケーの試合で決勝点を決めた時なんかは、自然とトム・ソーヤーかハックルベリー・フィンにでもなったような気持ちになって、世界の色がぐんと鮮やかになった。
なんでもない休日、例えば今日のような日、午後の陽だまりを近くに感じながら古い玩具を引っ張り出して遊ぶような時には、狭い小屋の中いっぱいに空想を拡げることだってできる――どんな場所にだって行ける。
でも、最近は――少年は、もっと別の秘密を、この場所に隠していた。
「……ぅ」
強かに打った腰が、今になってずきずきと痛んだ。
それに、腕も。
痛い、と小さく口にして、顔を歪ませる。
泣きそうになって、ぐっと堪えた。
ぎしぎしと梯子を上ってくる音に、はっとする。
小さな出窓から落ちそうになっている幾つもの布の塊――さっきまで彼がシーツの代わりにしていたものを引きずり降ろして、記憶とガラクタを詰め込んだ箱の向こうに、急いで放り投げる。
ばらばらと散ってくしゃりと形を崩してわだかまったそれを、自然と目が追った。
しくりと胸が疼く。
もっとずっと小さな頃、広い家の中で、ひとり留守番を任された時の感覚に、少しだけ似ている――寂しい。
どうしてそんな風に感じるのかは、分からない。
少し前までは、こんなことはなかったのに。
こんこん、と小さな木の扉を――彼が出入りするのにも四つん這いになければならないほどの大きさの扉だ――ノックする音がして、少年はもう一度後ろを振り返る。
――大丈夫、見えてない。
うん、とひとつ頷くと、
「誰?」
分かりきった答えを期待して、声を掛ける。
けれど、
「秀一」
そう言って顔を覗かせたのは、彼の大好きな父親ではなかったから、
「……母さん……」
呟く少年の声に戸惑いが混じったとしても、無理はないだろう。
彼女が――母が、ここに来るのは初めてだ。
「どう……したの」
少年は、両手の指を擦り合わせるようにして、目を逸らす。
やましい隠し事があるのは明白で、母親に出てくるように言われても、ふるふると首を横に振る。
「いいから、降りてらっしゃい。もう、おやつの時間よ」
ちらちらと後ろを気にする様子の少年に、母はそう言って微笑むけれど、
「いらない……」
少年は、答えて、俯く。
「……欲しくない」
「本当? 秀一の好きなチョコチップのマフィンよ?」
その誘い文句に、ぴくりと肩が動いた。
けれど、
「いい、まだ遊んでる」
一度唇を強く噛んでから、少年は答える。
少しだけ、血の味がした。
「そう……それなら、秀吉が全部食べても怒っちゃだめよ?」
「……うん」
「それじゃ、夕飯までには降りてきなさいね」
後でね、と言いながら手招きする母に、少年は、少しだけ歩み寄る。
震える肩を抱き寄せて頬にキスをする、母のことは嫌いではない。
でも、どうしてだか――嫌だ、と思うのだ。
時々――ここで秘密の夢を見た後は。
身を硬くする彼に、多分、母は気づいただろう。
そんな時のハグはいつもより短くて、彼は安全な場所に――そっと、戻される。
母がゆっくりと木の梯子を半ばまで降りたあたりで、少年は彼の隠れ家の扉を閉めようとしたけれど――、
「ああ――……」
思い出したような声に、動きを止められる。
「……な、に……」
嫌な、声。
いつもと同じ優しい声だけれど、嫌だ。
聞きたくない。
――だって、この先に来る言葉は決まっている。
「――ねえ、庭に干してあった、務武さんのシャツ。見当たらないのよ。また、風で飛ばされたのかしら。秀一は、何か知ってる?」
ぴくり、と、ドアノブを握る指が跳ねたのは、きっと母には見えなかったはずだ。
それでも、彼女は、息子の偽りを見抜くだろう。
分かっていても、少年は、引き攣る舌で嘘を吐く。
「……知らない……」
「そう……でも、」
母の言葉を遮るように扉を閉じて、耳を塞いだ。
けれど、うるさいぐらいに跳ね回る心臓の音からは、逃げられない。
だから――、
「……知らない……」
どうしてこんなことをしてしまうのか、自分でも、分からない。
けれど――、
倒れたおもちゃ箱から、もう使わないカラフルな玩具が溢れ出して、がちゃがちゃと音を立てる。
何かを踏んだ気がして、じんじんと足の裏が痛い。
でも、今は――……、
部屋の隅っこ、本当の自分だけの場所で、柔らかい夢の中に逃げ込んでいたかった。

***

ふぅ、と男の吐き出した息が、独特の匂いの煙に紛れて、顔を撫でる。
「ライ」
低い声が呼ぶのが、偽りの名だというのが、少し寂しい。
伏せていた目を上げて、首輪の鎖を握る男を上目遣いに伺えば、
「欲しいか」
目の前に差し出されたのは、革の靴。
ソファに腰掛けた彼の前に跪いているのだから、何もおかしなことではない。
見せつけるように、目の前を横切って、長い足が床に降ろされる。
「……別に」
「そうか」
男はわざとらしく頷き、フッと短く笑ってみせた。
その手が気まぐれに鎖を引けば、首が締まって呼吸が阻害される。
持ち上げられた視線の先、革のベルトのバックルは金属製で、照明を反射して鈍く光っている。
あれで叩かれると、きっと、痛い。
反射的にそんなことが頭を過って、身が竦む。
ふるふると首を振って、ライは嫌な想像を頭から追い出そうとした。
怖い、と思う。
叱られる、と、思う。
理由など何もないはずなのに、ただ、こうしてアルファを目の前にして己を晒す行為そのものが、感情をマイナスに動かす。
抑制剤の飲みすぎだろうか――そんな副作用は聞いたこともないけれど。
「……俺が、怖いか」
項垂れたくとも、ジンはそれを許さない。
「怖いか? ライ」
重ねて訊かれ、唇を開く。喉の奥で、『NO』という音が、ひしゃげて歪んだ。
怖い。
でも。
首輪の下に隠された、まっさらなままの肌に、男の口づけが欲しい。
「……怖く、など……」
「……そうか」
もう一度、目の前を、靴の先が過る。それでようやく、鈍い金色が視界から消えた。
それと同時に、鎖の先が落ちる硬い音が、床の上で跳ねる。
もう顔を伏せてもいい、と、そう言われているような気がして、けれど確信は持てずに、もう一度、男の顔色を窺えば、また笑われた。
「構わねえよ」
許しを受けて、安堵する自分が悔しくて、情けない。
こんな、男に。
そう思うけれど、ずるずると視線は落ちていく。
長い脚を覆うスラックス、その流れを辿るように。
「ライ」
ぽん、と頭の上に彼の手が乗る。
その手が、ライは好きになれない。
無条件で自分自身を預けることは決して許されないのに、こんな風に触れられると、そうしたいと願ってしまうから。
「何、か……」
わしゃわしゃと髪をかき混ぜるその手の乱暴さも、本当は少し苦手だ。
いけないと分かっているのに、失うことが怖くなるから。
「あそこにあった――お前の巣、な」
綺麗に片づけられた部屋の隅は、見ないようにしていたのに、言われれば、そちらに意識を向けないわけにはいかない。
「……巣だったんだろう? あれでも」
「――多、分……そう、だ」
「多分?」
「……昔――俺の巣は、巣になってないと、言われた……」
「ホォー……?」
「巣というのは――本来、アルファ、を、迎え入れるためのものだ、から……」
ジンの部屋の小さな一角、ライ一人でも身体を丸めないと寝られないような狭いスペースでは、巣というにはお粗末すぎる。
ジンが好きにしろと言うから、甘えていたけれど、
「……やはり、邪魔……だったか……?」
分かっていた。ジンがライの好きにさせていたのも、好意からなどではないことくらい。ただ、一々文句を言うのが面倒だったからだということくらい。
「……すまない」
縋る物がなくなったその場所から、目を逸らす。
「……もう、しない」
そもそも発情期は薬で抑制しているのだから、本当は、巣など必要ないのだ。
「……ごめんなさい……」
震える声に、ジンの深い溜息が落ちて、冷える。伏せた視界がじわりと滲む。感情の制御がきかない――理性など、役に立たない。
「もう……しない、から……」
だから、傍にいることだけは、許してほしい。そう言えたら、どんなにいいだろうか。けれど、喉の奥が熱くて、頭の芯が痺れて、自分の身体が言うことをきかない。そうしてもたもたしていたら、また、呆れたようなため息が降ってくる。
「おい、ライ。テメェ、勘違いしてんじゃねぇぞ」
ジンの指先が髪を撫でて、頬に触れた。
「ウォッカが知らずに壊しちまったが……まあ、あの大きさなら、巣材はそれほど必要ねぇだろ。確かに不格好な巣だが、必要なモンなら、また作りゃいいだろうが」
雫の痕をさかさまになぞるように、肌の上をゆっくりと指先が滑る。
「欲しいものがあるなら……」
言いかけるジンのタートルネックの裾を、ライはおずおずと指先で引いた。
固いものは嫌。金属が肌に触れるのも嫌。柔らかくて暖かくて、自分を包んでくれるものが欲しい。顔を寄せれば、それだけで守られていると感じられるものが。
「ったく、仕方ねえな。脱いでやるから、離せ。大人しく、そこで待ってろ」
「…………」
「不満そうだな。なら――……」
不意に思い直したような声と共に無造作に放り投げられた鍵が、床の上に置いた手のすぐそばまで転がってくる。クローゼットにつけられた錠を開けるための、鍵。
「勝手に……開けて……いい、のか」
「……言っておくが、今日だけだからな」
必要な分だけにしろよ、とくぐもった声に念を押されて、即座に頷く。
気を変えられてはたまらなかった。
――不格好で役に立たない巣でも、ジンは笑ったりしない。
それが分かっただけだというのに、今夜はようやくあの秘密の夢の続きを見られるような、そんな気がした。
 
 

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