top of page
ないしょ、ないしょ。
​しゃばけ
オールキャラ
age restrictions FOR ALL

​全年齢向けです。

2016年12月30日
フローティングハート

「今年も結局、なぁんにもなく終わっちまったねぇ……」
火の入っていない炬燵にぐでりと凭れて、ちびちびと酒を舐めながら言うのは、市松模
様の着物をぞろりと纏う、色男。
その衣装も、目尻に紅をさす独特の化粧も、どこか浮き世離れしている。
それもそのはず、彼は現し世の理に生きる者ではなかった。
付喪神ーー或いは九十九神。
人の世で九十九年大切に大切に使われてきた道具が魂魄を得て、妖となる。
男の正体は、屏風のぞきなる妖であった。
お江戸の昔より妖しであった屏風のぞきであるから、大妖とはいわぬまでも、比較的寿命の短い付喪神としては十分すぎるほどに世間の移り変わりをその目にしてきた。
二千十六年。
生を得た時分にはおよそ想像もし得なかった時代を、彼は生きている。
名をーー今を生きる仮初めの名を、染谷芳野、といった。
もっとも、その名を名乗るようになった経緯については、今は語るところではない。
「本当に……なぁんにもなかった……」
ふぅ、と嘆息し、籠いっぱいに盛られた蜜柑に手を伸ばす。
『よろずお悩み解決します』の文字が印刷された紙切れが、視界の端に舞った。
仁吉と佐助が、数年前に、今はなき長崎屋の跡地に構えた探偵社は、随分と繁盛している。
姿を変え、名を変え、土地を変えて、幾百の年を経て、三妖の探すのは、ただひとつ。
親友であり、悪友であり、唯一人主と強く定めた、あの病弱な少年のーー魂に刻まれた、その記憶だった。
『千歳にも勝る想いの絶えずして』とは、いつかの仁吉の言である。
智を司る白沢サマにしちゃぁ捻りのない句だと嗤いつつも、
『いずくにありや弓手に馬手に』とやはり捻りのない下の句をつけてやりはしたものの、ざわりと項の毛が逆立つような嫌な気配がして、それきりその話はお開きになっていた。
「まったく、五月蝿い屏風だね。やっぱりあの大火の日に捨て置いときゃあ良かったかね」
二つ目の蜜柑をとろうとする屏風のぞきの手を、ぱしりと打つのは仁吉であった。
こちらも、また今年も彼の少年に巡り会えなかったと落胆しているのは、同じである。
むしろ、仁吉にしてみれば、お江戸長崎屋に一太郎が生まれるずっと以前から、自分は彼を守り育てるようにさだめられていたのだという自負があり、屏風のぞきなぞと一緒くたに扱われるのは甚だ心外であった。
それでも、言霊の魔力にとりつかれぬよう、こうして耐え忍んでいるというのに、この屏風ときたら。
「いっそ今からでも、引き破いっちまおうか」
彼の本体である古びた屏風の表面に、すっと指先を添える。ぎらりとむき出した爪が繊細な紙に触れ、屏風のぞきはヒィッと喉に息を詰まらせたような声をあげた。
「よしとくれよ、死んじまう」
「お前がこの程度で死ぬものか」
生きていると、信じるものがいる。
そこに存在することを、肯定するものがいる。
それは、彼ら妖にとって、何にも勝る命綱だ。
だからーー、
「あたしが信じているうちは、お前さんは死なないよ。例えこの屏風が灰になっても……」
「恐ろしいことをお言いでないよ。いくら若だんなが見つからなくてイライラしてるとはいっても、齢二千年にもなろうかという白沢様ともあろうお人が、らしくもないねぇ。どれ、この屏風がちぃと遊んでやろうかい?」
ぐでりとしたまま流し目をくれる屏風のぞきに拳を打ち下ろしたのは、仁吉ではない。
地も轟くかというような強さの拳は、佐助のものだ。年の瀬の支度に忘れた物があって、と今朝方出掛けたきりだったのが、どうやらようやく戻ってきたらしい。
「依頼人の前で、だらだらするんじゃぁないよ! 我らの探し人が見つかるかもしれないってぇ時に、何をのんびり蜜柑なんぞ食ってるんだい!」
いつにない調子で怒鳴る佐助に、二対の目が見開いた。
彼の背後に立つ、キリリとした印象の女性に、
「おたえ!」
咄嗟にその名を口にした屏風のぞきは、今度こそ仁吉の手で首を絞められる。
「なんて軽率な馬鹿だい。佐助でももう少し思慮があるってもんだよ」
仁吉の言葉に、屏風のぞきと佐助の双方が物言いたげに剣呑な表情を作りはしたものの。
「息子を、探して欲しいんです」
女性が思い詰めた表情で語り始めると、じゃれあいのような争いは瞬時になりを潜めた。
目の前にいる女性は、どのようにも間違いようがない。
長崎屋の女将、おたえだった。
無論、幾度かの転生を経ているであろう彼女にとっては、仁吉たちは見知らぬ他人であろう。
彼女の息子が、一太郎だという保証もない。
だが、佐助が彼女を連れてきたからには、一太郎に続く手がかりを、彼女が持っているのは確かなのであろう。
犬神である佐助が、嗅ぎ分けられないはずがないのである。
天井に住み着いた昔馴染みの家鳴りが、ぎゅいぎゅいぎゅわぎゅわ騒ぎ立てる。
「稲荷社へお参りへ行って、息子の無事を祈っていたら……お使い狐さまたちがね。あなたがたなら、きっと息子を見つけてくれるとおっしゃったので……」
そんなことを当たり前のようにさらりと言える女性は、やはり大妖の血を引いていたおたえを思わせた。


「ぎゅぴ。若だんなには守狐がついてる」
「きゅわ。若だんな、近くにいる?」
「ぎゅんい。若だんなが帰ってきた!」
ぎゃいぎゃい、ぎゃわぎゃわ。
家鳴りたちの喝采に、一年が賑やかに暮れていく。
ごぉん、ごぉんと遠くで響く除夜の鐘の音が、過ぎゆく年を告げている。
「今年はなんにもなかったねぇ……」
ぽそりと呟く屏風のぞきの声には、隠しきれない笑みが浮いていた。
「来年は、いいことがあるといいねぇ……」
ほわりと浮かんだ言霊は、黒の帳にとけて、空を渡る。
小さな童がその欠片を捕まえて、夜に瞬く星屑にしたけれど、それはまた、別の話。

 

Glass%20of%20Drink_edited.jpg

Wix.comを使って作成されました

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
bottom of page